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“幸せ”を歌いたいシンガーソングライター イサン
“あなたは私に幸せをくれる人〜私が行く道は険しく遠くてもあなたは私に幸せをくれる人“(ヘバラギ(ひまわり)の『幸せをくれる人』から)

『幸せをくれる人』は、フォークグループヘバラギ(ひまわり)が、1983年に発表した1集に収録されている曲の1曲である。最近『幸せをくれる人』が再び注目されている。それはヘバラギのメンバーイ・ジュホの息子イサンを通じてである。イサンは1集のタイトル曲に、父のヒット曲である『幸せをくれる人』を選んだ。






イサンは1集の音盤全曲をプロデュースするほどの才能あるシンガーソングライターで、デビュー前から逸材として注目されている新人歌手。『幸せをくれる人』をタイトル曲に決めた理由を彼は、「子供の頃から何度もリメイクした曲」とし、「数回手を入れるくらい愛着のある曲」だと語った。
「父が歌う曲だからタイトル曲に選んだのではありません。子供の頃から好きだった曲で、何よりも歌詞が与える意味がとてもいいじゃないですか。原曲をR&Bヒップホップバージョンに再編曲しましたが、原曲の感性と情緒を生かすことに比重を置きました」

イサンの本名はイ・サンス。「音楽を通じて人々の心を動かしたいです。そのため本名から“ス”を取りました。心が直ぐに夢であるイサン(理想という意味)と結びつくと思いました」幼い頃からピアノを弾いていたというイサンは、クラシックピアノを勉強するために10歳の時にアメリカに留学した。彼が本格的にブラックミュージックに接するようになったのは、留学当時アメリカのMTVを見てからである。

イサンは「MTVでブラックミュージックを見てびっくり驚きました」「ブラックミュージックに魅了されてクラシックの勉強を止め、両親に隠れてラップとヒップホップ、ジャズなどのブラックミュージックを学びました」と語った。以降、韓国とアメリカを行き来してブラックミュージックを学んだ彼は、コンピューターMIDI作業で曲を作る音楽的感覚と才能を存分に発揮した。
「ブラックミュージックにはまっていることは後で家に知られましたが、何も言いませんでした。音楽は全て同じだと考えていたのです。ただこの道は先が見えなくて厳しいので、少し心配していました」

 京畿高校3年の時、韓国で4人組グループUPSを結成した彼は、以後ラトン(LATONE)というヒップホップチームでリーダー兼プロデューサーとして活動した。「韓国に帰ってきた当初は、僕は大した奴だと思っていましたが、UPSで生活しながらまだまだだということをよく感じました。1人で盛り上がっていたというか?でもステージで歌えるということだけでも幸せでした。金銭的に大きな利益はありませんでしたが、一番幸せだった時期だったように思います」「ギターもうまいのかと聞くと「うまく弾けません」という意外な答えが返ってきた。子供の頃からピアノを触ってきたので、仕事も主に鍵盤を使ってするためだという。

イサンはイ・ジュホの息子として話題を集めた。「父を通じて有名になったのではないか」という質問に「韓国ではだれそれの息子だというと“コネ”ではないかと思う人が多いです。だから明かさないように努力しました」と語った。イサンがイ・ジュホの息子だという事実が明らかになったのは、イ・ジュホの同年輩の歌手の口を通じてである。イサンは「父の名声に泥を塗ってはいけないので、もっと一生けんめいやるという考えしかありません」と語った。

父から助言を多く受けたかという質問に「デビュー音盤に父の色が出るのではないかと、全く助言は請いませんでした。特にどうとも言われませんでしたし。普段は慈愛に満ちていますが、誉めることは出し惜しみをします。初デビューのステージを経験すると、「良かった」とただ一言言ってくれました。音楽をする人なのでとても自由ですが、礼儀と格式にはうるさいほうです」

イサンは昨年12月、初放映を前に声帯結節の診断を受けた。無理な練習などから声帯に異常があったが、風邪だと思って放置していたためである。このため各種の公演のゲストステージに参加できなかった。

1982年生まれの犬年のイサンは、インタビューの終わりに「ある程度認知度が高まったら、小劇場の公演でファンにお会いしたいです」「多くの人々に喜びと幸福を与える歌手になりたいです」と抱負を語った。[写真:NEWSIS]